幼少の頃より私の傍らにはいつもホットマンのタオルがありました。日常使うもの以外に鮮明な印象となり記憶にあるものがいくつかあります。稽古着の色に合わせて使っていたバレエのレッスンで汗をぬぐうもの。タオルの色だけではなく刺繍の糸色にまでこだわり、今は亡き母と一緒に六本木のお店で選んでいたその懐かしい情景はやわらかな優しい光に満ちているかのようです。それから舞台の日の楽屋着としてのバスローブ。心地よいともいえる緊張へと昂揚していく中、高ぶる神経と体をやさしく抱擁するように包みこみ守ってくれました。そして舞台を支えてくれた仲間たちひとりひとりの顔を思い浮かべ、その人のイメージをホットマンの表現する色に託し贈り物にしました。受け取ったみんなもそれを喜んでくれて、大切そうに「一番お気に入りのタオルなんだ」といわんばかりに使ってくれているのを見るととても嬉しい気持ちになったものです。
画像はそんな想い出深い中の一つ、深みのあるグリーンに刺繍はアイスグレーのノーブルな色合いがしっくりの“HOTMAN GRACE”(懐かしい“TOKYO ROPPONGI”の表記)、お気に入りでした。ノスタルジーをもたらす幼少の頃のイニシャルの刺繍…なんていうことはさておき、おそらく30年以上前の製品ではないかと思うのですが、色味こそ多少の褪せはありますが、なめらかな風合いはほとんど損なわれてはいない、今もって現役さん、素晴らしいです。これがホットマン製品の身上であり本質だなぁと手にする度にふっと微笑んでしまうのです(愛用し続けてしまう所以です)。
そんな六本木のホットマンがなくなるなんて考えてもみなかったです、そこに行けばいつでもホットマンがある…昭和47年(1972)誕生との記述、あらためて感じ入りました(1972年は折しも私がバレエ学校に通い始めた年でもあり)。六本木のその当時を思うと、ゴトウの花屋、丸正(今はマルシェ)の地下にあったシシリア(父に抱っこされあの暗い階段を下りた朧げな記憶)、定番のキャンティ、そしてホットマン。ひときわのカラフルさは幸せあふれるような愉し気な空気を生み出していて素敵でした(あの少し急勾配な階段もよく昇ったなぁ)。そんな具合に六本木の街、あの外苑東通りのシンボルのような存在であったと私は思っています。六本木店の閉店に、一つの時代が終わった…そんな感傷も含みつつ感じ入ってしまうのはたぶん私だけではないと思います。動揺を胸に最終日まで何度か足を運びました。「ここは手作業で仕上げるんですよ」などこんな折りでも熱く語ることのできる真心、ものづくりへの想い、真摯な誠実にある姿勢は今時あまりにも稀少で、でも真に大切で重要なもの、さすがホットマンだと感動せずにはいられませんでした。気配の消えたお店の前を毎日通る度つい視線がいきます、いつか青梅の工場に行かなくてはと思うのです。
東京都 S様